南無阿弥陀仏
お経を詠む口が、ふと止まりそうになる。
昨日剃り直したばかりの頭に、ハエが止まったのがわかった。
「南無阿弥陀仏……」
詠むことに意識を戻そうとする。しかし、脚の細い引っ掛かりが頭皮に食い込み、耐え難い痒みを呼び起こす。
「陀ぁひ……仏……」
声がわずかに揺れ、ご遺族が怪訝そうな顔を向ける。
ハエは無慈悲にも、私の頭上を円を描くように歩き回り始めた。
手ではたくという選択肢が一瞬よぎる。だが、読経中にそれは許されない。
私は痒みに耐えながら、ただ声をつなぎ続けた。
その時間は無限のように長く感じられた。
やがて痒みは痛みへ、痛みは奇妙な温もりへと変わっていく。
いつしかそれは、励まされているような感覚にすらなっていた。
私はそのまま、お経を読み切った。
悟ったのだ。
ハエの脚もまた、お釈迦様の手と変わらぬものなのだと。
また会いたい──そう思った。
部屋の隅では、ハエ取り紙に無数のお釈迦様が絡みついていた。